Spring

かな 様

ライン

 クラインへ来て二度目の春がやって来た。
 去年は異世界からの来訪者でしかなかったけれど、今年は正式なクラインの国民となった。一人で暮らしていける様にと魔導士の資格も取った。魔法研究院に部屋も貰える。魔力も安定して補助魔法も必要なくなった。
 そして、キールの側に居る理由も、なくなった。
 キール=セリアン。クライン史上最年少の緋色の魔導士で、あたしをこのクラインへと召喚した張本人。頑固で、口が悪くて、研究バカで、不器用で。
 初めはどうしてくれようかと思ったわよ。だって、自分の失敗であたしを召喚しちゃったってのに、すんごく態度がでかいんだもん。口の利き方を知らない? そりゃアンタの事でしょ、全く。それに、帰るためと称して字も読めなかったあたしに課題をいっぱい出すし、ちょっと息抜きすれば倍以上追加するし。はっきり言って、学校に居るより勉強したわよ、あたし。顔を合わせればいつもお説教で、二言目には大人しくしろ、その後続けて仕方ないだの、我慢しろだの勉強しろだの。
 でも、補助魔法をかける手は、いつも優しかった。

「メイ?」
 あたしを呼ぶ声にはっとした。何時の間にか考え込んじゃってたみたい。
「何? 殿下」
「この間の件、そろそろ返事を貰えないかな」
「あ……」
 まだ残ってるいくつかの手続きを済ませるため王宮に来ていたら、ちょうどこれから休憩だからと殿下にお茶に誘われた。皇太子殿下の執務室でお茶してるなんて、キールにばれたらまた叱られるかもしれない。しかも殿下にお茶入れてもらっちゃったし。
 両手で持っていたカップは、何時の間にか、猫舌のあたしにちょうどよくなっていた。なんとなく間が持たなくて、とりあえずお茶を飲んだ。砂糖もミルクも沢山入っているのに、どこか苦いのは、話題のせいかもしれない。
 この間、殿下から、第二王女付きの魔導士にならないかと誘われた。ディアーナはもうすぐ隣国ダリスへ嫁いでいく。ダリスはまだ安定したとは言い難いので、殿下はしばらくの間、ディアーナの元にクラインから魔導士を派遣すると言っていた。派遣期間は最低でも一年。一年はクラインを離れる事になる。
 悪い話じゃない、と思う。魔導士としてもいい経験だと思うし、帰ってくればそれなりの地位は約束されている。危険は在るけれど、その分お給料はうんといい。何より親友であるディアーナの側に居られるのは嬉しい。
 それでもあたしは頷けない。
「ごめんね、殿下」
「そうか」
 ふっと瞳を和ませて殿下は頷いて、それから白い手袋を外してあたしの頭をくしゃっと撫ぜた。キールとは違う手がキールとは違うように撫ぜる。その感触があたしに一層キールを思い出させた。

 結局書類は数枚残ってしまった。未処理の書類の、空欄になっているのは住所の欄。あたしはまだ、何処に住むか決めてない。
 魔法研究院には寮がある。外に部屋を借りるなら手当ても出る。いい所ならそれなりの保証人とかもいるけれどそれも問題ない(殿下が保証人ってのは流石にマズイかな?)。一度ガゼルに引っ張られて、部屋を見て回ったりもしたし、いいなと思う所もあったけれど、結局決められなかった。
 ため息一つで書類から目をそらし、机から離れた。ベッドに仰向けに倒れ込む。
 もうすぐ四月も終る。もう半年以上前になる事を思い出した。

「もういいよ」
 あたしがそういった時、キールは信じられないって顔をした。
 十月の夜は寒い。でも、今あたしが震えているのは寒さのせいなんかじゃない。
「もういいよ、キール」
「良くないだろ。お前は、元の世界に、帰るんだから」
 そう言うキールの顔は真っ青だった。魔法陣に細工をされたせいで召喚されたドラゴンと、それを送り返した際の無茶な魔法による傷は深い。流れ出る血のせいでキールの服はあっという間に赤く染まって行く。
「俺が帰すと、約束したんだから」
「いいから黙って!」
 早く傷をふさがないと。あたしは混乱する頭で必死に治癒の呪文を紡いだ。何とか傷を塞ぎ、ほっと息を吐いてから、重ねてキールに言った。
「帰れなくてもいいの」
 ああ、素直じゃない、あたし。本当はもっと別の言葉を言いたいのに。
「あたし、クライン好きだし。友達も居るし、魔法も面白いし。だから、いいの」
「……本当に、いいのか?」
「うん」
「そう、か」
 それきり、キールは黙ってしまい、あたし達の間でその話題が出される事もなかった。

 あの時、キールの顔がほっとしたような気がしたのは、きっとあたしの願望。あたしは引き止めて欲しかったから。キールに引き止めてもらいたかったのだから。
「キール」
 何時の間にか好きになってしまった、保護者代わりの青年。お説教ばかりでうるさいと逃げ回っていたのに、その視線が優しい事にどうして気付いてしまったんだろう。気付かなければ、好きになる事もなかったのに。
「キール…」
 キールとはしばらく会っていない。仕事が忙しいとかで、いつ部屋に戻っているのかも分からない。多分、自宅の方で寝ているんじゃないかと思う。アイシュはキールに会っているといっていたから。
 あたしの帰還魔法とダリスの魔法兵器の報告。そんなにかかる仕事かな、と思ったけれど、言葉を濁すアイシュに他にもあるのだと気付いた。キールほどの実力ならそういう仕事を抱えていてもおかしくない。元々あたしの事だってクラインのトップシークレットだったんだし。
 でも、理性で分かっていても、やっぱり今日もだめみたい。
 危険な仕事じゃないのかな。無茶していないかな。
 言いたい事も面と向かっては言えないくせに、こんなに心配で心配で、会いたくて仕方がない。
「キールのバカ」
 その瞬間響いたノックの音に、あたしは飛び起きた。
「入るぞ」
「キール?」
 ぎいと音をたてて扉が開き、久し振りに見る顔が現れた。薄い亜麻色の髪、細いフレームの眼鏡と緑の瞳、肩には緋色の魔導士の証。…キールだ。
「久し振り、だな」
「うん」
「ちょっと、いいか?」
「うん」
 あんまり嬉しくて、そしてやっぱりなんて言ったらいいのかわからなくて、あたしはそれしか言えなかった。
 キールはあたしの方に近づいてきて…途中で足を止めた。視線は机の上。未提出の書類がある。キールは一枚を手にとった。
「あ、それは」
「まだ出してなかったのか」
 良かった、という呟きが聞こえた。
「キール…?」
 怪訝な声で呼びかけると、キールはちょっと眉を寄せたしかめ面で振り向いた。あ、と思った。これは、そう、ちょっと照れてる時のキールの顔。
「ラボを開くんだ」
 仕事もあったが、それもあって最近忙しかったのだという。
「そ、っか。夢だって言ってたもんね」
「ああ。もうすぐ研究院を出る。だから」
 それを聞いて、あたしの心は一斉に騒ぎ出した。何も一生の別れという訳でもないのに、その時のあたしには冷静さというものはかけらも残っていなかったようだ。
 行ってしまう。キールが遠くへ行ってしまう。あたし、何もいっていないのに。キールに何もいっていないのに。
「キール、あたし…」
「だから、お前も一緒に来ないか?」
 ――――。
「へ?」
 この時のあたしの返事は、我ながら最低だったと思う。
「一緒にって、え?」
 一緒って一緒って、何? キールは何を言っているの?
「だから」
 なんでキールの顔赤いんだろう。
 なんであたしの心臓はこんなにうるさいんだろう。
 静かにしてよ、キールの声が聞こえないでしょ!?
「一緒に暮らそう」


 ある晴れた五月の休日、あたし達はそれぞれ最後の荷物を手に魔法研究院から出て行った。
 荷物のほとんどは昨日までにラボに送ってあるし、通いながら既に半分くらいを解いてある。とりあえず生活するのには困らない。後はあたし達が行くだけだ。
 二人並んで歩きながら、あたしはふと思った事をキールに問い掛けた。
「ねえ。あの時、断られるとか思わなかったワケ?」
 実はあの段階で、キールは住居変更届にあたしの名前も入れて提出していたのだ。もしあたしが書類を出していたらどうする気だったのだろう。
「お前の気持ちを知ってたのに、どうしてそんな事思わなきゃならないんだ」
「……」
 知ってたって、知ってたって。
「一体いつからよ!?」
 顔を真っ赤にして噛み付くあたしを、キールはさらりと躱す。
「さあな」
 しかも、いつもお前を見てたから覚えてない、なんて言う。何時の間にキールの性格変わったんだろう。シオンの影響かな。それとも元からこうだとか? なんだかちょっと悔しくて、あたしはささやかな反撃を試みる事にした。
「……………………キールのすけべ」
「何!?」

 二人の新居まであと少し。
 あたしは声を上げて笑いながら、キールの腕にじゃれ付いた。

ライン

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