精霊ヶ丘

松前 杏子 様

ライン

今日も魔法研究院に、素晴らしい音が響き渡る。途端、鳥達は慌てて樹から飛び立ち、リスは樹から転げ落ち、壁の絵はがたんと外れ、老人達の寿命は確実に一日は縮まるという現象が、研究院のあちこちで見られるのだ。この現象は、約一ヶ月前から始まっていた。最初はびっくりしていた研究員達も、今では慣れて、雑音の一部と思うようになったらしい。それでもまあ、顔の一部がひきつるのは仕方のない事だといえよう。
だが未だに全く慣れない人物がここに約一名、いた。彼はその音が聞こえてくると、窓をばたんと閉め、カーテンをひき、扉には鍵をかけて、それを更にベットで封印すると言う事までしていた。だがそれでもその、一種の芸術とも呼べる音は遮断できず、彼の耳にその音を届けてくる。彼はぐしゃぐしゃと淡い栗色の髪の毛をかき回し、いらいらと指で机を叩く。もちろんその耳には、耳せんがとうの昔に配置されている。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くそっ」
そうして今日も彼は折れて、部屋の外へと飛び出していく。その音の発信源まで駆けていき、勢い良く扉を開ける。その際何人か突き飛ばしていようと、物を壊していようと、今は構っている余裕はなかった。それくらい彼の精神状態は、平静でいられなかった。部屋の中へ駆け込むと、彼は息を大きく吸いこんだ。
「いい加減にしろっ、メイ!!」
怒鳴られた少女はきょとんと顔を彼に向け、スバラシイ音を紡ぐ事をやめた。そう、その毎日研究院を恐怖のるつぼに叩き落としてくれているのは、この小柄な少女が出す歌声だったのである。結構知られていないが、彼女は実は非常にオンチであった。
「どしたのよ、キール」
けろっと言う少女に、彼はそれこそ脱力してしまった。
こいつ・・・自分の歌の下手さ加減に未だに気づいていないのか・・・!?
「お、お前なあ、それで本当に姫の誕生日に歌うつもりなのか!?」
少女が毎日歌を歌っているのは、このクラインの第二王女・ディアーナの誕生日が近づいてきているからなのだ。少女はムボウにも、彼女の誕生日に、歌をプレゼントしようというのだ。正確には、鈴に歌を魔法で込め、それをチョーカーとして送るらしい。アイデア的には素晴らしいのであるが、いかんせん、その大元となる歌がどうにもこうにも、であった。
「あによ。これでもかなり上達した方だとあたしは思うんだけど」
他の人からも誉められたしねー、といってがははと笑う少女を見て、彼は心の中で毒づいた。
誰だ、そんな余計な事をいったやつは!?
所詮少女に脅されて、もしくは少女を恐れて、そいつらは上達したと言ったに違いなかった。彼からすれば、一ヶ月間毎日歌い続けているにもかかわらず、全くと言って良いほど上手くなっていない少女の歌は、ある意味宇宙の神秘だった。
「とにかく、これ以上研究院で歌の練習するのだけは止めてくれ」
そうでないと自分の研究が進まないし、何よりこれ以上自分の身がもたない―――などと言う事は、あくまでも口に出さない彼であった。そんな事を言った日には、百倍返しされるに決まっているのだ。彼はここ1ヶ月ばかりの少女との共同生活の中で、その事を学んでいた。
「え〜〜〜キールのけち!じゃああたしはどこで練習すれば良いのよ」
「どこへでも好きなとこ行けよ」
「じゃあシルフィスにでも聞いてもらおうかな♪」
いそいそと外に出ようとした少女の上着の一部を、彼ははしっ!とつかんだ。いぶかしげな少女の瞳が、彼の顔に注がれる。
「待て」
彼は想像した。今ここで彼女を行かせてしまって、訓練所に彼女の破壊的な歌声が持ち出されてしまったら、それこそ字の通りに血を見る事になるであろう。あそこでは真剣を使って練習しているのだ。彼女の歌を聞いた者が精神を乱して、絶対手元を狂わすに決まっている。そうして起こった流血騒ぎの責任は、必ず魔法研究院にまわってくる。そして彼女の保護者である彼が、何らかの形で責任を取らされるのだ。
いやだ。絶対いやだーーー!!
あまりにも起こり得る想像に、彼は内心青くなった。そうして彼女を止めなければ、と頭で考えるよりも先に、自分に素直な身体が反応して、彼女の上着をつかんだと言う訳だ。何とか自分が打開策を生み出さなくてはなるまい。彼はこれ以上ないと言うくらい、必死で考えた。そうして頭に浮かんだ、一つの考え。
「メイ、一つだけ良い場所がある」
「どこよ、それ?」
少女は大きな茶水晶の瞳をくるりと回転させ、彼の唇からこぼれる言葉を待った。

風が吹き渡る丘。全てを吹き払い、辺りの空気は清浄であった。ここは郊外の山の中腹である。山道から少し外れたところにあるそれは、知っている人は少ない、絶景の場所であった。そこから見渡せば、全ては小さくて、まるで自分の手のひらに収まりそうな錯覚さえ覚えてしまう。その場所は景色がきれいだけでなく、もう一つの事でも有名だった。
「わあー、すっごい!こんなとこ知らなかったよ」
目を輝かせながら辺りを見渡す少女を、彼は少し目を細めて見た。素直に感情を表に出す彼女が微笑ましくて、そうして少しだけ妬ましくて。彼はそっと息をついた。
「ここは精霊ヶ丘と呼ばれている」
「せいれいがおか?」
「そう、精霊ヶ丘だ」
ざあっと一段と強い風が吹く。彼はその風に身を任せて、目を閉じる。そうして感じる精霊達の気配。ざわめいている。ささやいている。彼女が来ているからだろうか?いつもより、彼らは騒がしい。ゆっくり目を開け少女の方を見ると、予想に反して彼女は神妙な顔つきをしていた。彼が見つめると、少女はゆっくり微笑んだ。
「・・・・・・あたし、感じるよ。彼らが、精霊達が、ここにはいるね」
内心彼は、少女が精霊達の気配を感じられる事に驚いたが、何故か、彼女ならできる、と納得してしまった。不思議な感じだ。でもこういうのも悪くない。知らず知らず、彼は口元の笑みを浮かべていた。
「ここには多くの精霊達がいる。だからお前の歌の手助けを、きっとしてくれるだろう」
素直にこくりと頷く少女。彼は長いローブをなびかせながら、手を遠くに差し伸べる。風の精霊達がいたずらをして、彼の髪をくしゃくしゃにする。息を吸い込み、呼吸を整える。そうして見る視界には、より鮮明に精霊達の姿が映った。少女も彼を真似、同じように動作を繰り返す。
少女は巧みに精霊達を取り込み、そうして精霊達もすぐさま彼女に懐く。呼吸をするように、いとも簡単に。彼は軽く唇をかみ、そっとうつむいた。くるりと突如少女が振り向き、彼の方に目をむける。
「んで?次は?」
無邪気な少女に彼は苦笑せざるを得なく、笑いを漏らしながら、彼女に丁寧に教える。
「彼らの歌う声を聞け。その声に身を任せ、自分と同調させるんだ。ゆっくりゆっくりと、そうして身体が軽くなったころ、声を出してみるんだ」
彼の声に、少女は大人しく従い、そうして恐る恐る声を出してみる。澄んだ声は、まるで鈴の鳴るがごとく、川のせせらぎが大地の讃美歌を歌っているかのごとく、軽やかに穏やかに、地平線の彼方にまで響き渡った。自分の声に少女本人が驚き、彼の方を勢いよく振り向いた。
「すごい、すごいよっ、キール!!だいぶ上手くなったと思っていたけど、実はまだまだだったんだね!!」
「・・・・・・・・・ああ」
彼女の己への不当な評価に少々足を滑らせながら、彼は何とか答えた。表情が無愛想になるのは、まあ致し方ないといえよう。少女はそんな彼には全く構わず、歌声の素晴らしさに、一人で感動していた。
「美少女歌姫あらわる!なーんちゃって、あたしどうしよう?!」
もはや何も答えられない彼であった。

結果論で言えば、失敗に終わったといえよう。ディアーナへのプレゼントは、ディアーナの笑みを2割減少させ、あの皇太子に冷や汗をかかせ、あの筆頭宮廷魔道士によろけさせたのだ。要するに、出来はひどかったのだ。
何故なら、少女は精霊ヶ丘で練習するときはとても上手いのだが、そこから一歩でも外へ出るとすぐ元に戻ってしまうのだった。彼が止めるのも聞かず、自分の歌が上手いと勘違いしてしまった少女は、強硬に自分の部屋で鈴へのインプットを開始してしまった。その時の歌声はそれはそれはスバラシイものだったという。そしてその日、魔法研究院は丸々一日再起不能だったとか。
思い込みとは、げに恐ろしきものと学んだ彼であった。

「ねえねえキール、あんたのお誕生日のときにも、あたしの歌をプレゼントしてあげるね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その時はぜひ精霊ヶ丘で聞かせてくれ」

ライン

きるめいキャンペーンStoriesのトップページへ

トップページへ