少しレモン色がかったオレンジ色に、レオニスは惹かれた。
つい足を止めて、じっくりとそのワンピースを観察する。
ノースリーブでミニ丈。だが、彼女のいつもの制服よりは長いといえる。
全身にいくつもの花模様がくりぬかれたカットソーのワンピースは、純白の下地が付いているらしい。オレンジの布地には純白の花がいたる所に咲き、おかげでオレンジという暖色の色にもかかわらず、涼やかな雰囲気となっている。
彼女のいつも付けている白いヘアバンドにも似合う。
−−これで、白いサンダルを履けば完璧だ。
そこまで考えて、レオニスは苦笑した。それから、何時の間にかショーウィンドウに添えていた手を引き剥がす。
ガラス越しに、通りを行く人々が不審そうな、または興味津々の視線をこちらに向けていることに気づく。…無理も無い。ガタイがいい強面の男が、ショーウィンドウにかじりつくようにしてじっと婦人ものの洋服を眺めているのだ。不気味なのだろう。
レオニスはそっと溜め息を漏らし、その場を後にした。
自分らしくない。女物の服に見とれ、それを身に纏った少女の姿を夢想するなんて。
「………」
多分、理由は昨日の会話。
どうやら、昨日の彼女のおねだりが、レオニスの頭の片隅に引っかかっているらしかった。
今は初夏。…なのに、元気よく自分の部屋を来訪してきた彼女の着ている制服は、どう見ても冬物だった。
「それは冬物ではないのか?暑くないのか」
今日はあついよねっ、と騒ぐ少女に、レオニスはつい問い掛けてしまったのだ。
「あついよ。決まってるじゃん」
見上げてきた彼女は、上目遣い。他の女性にされるとなんだか媚びを売られているような気がして、いささか不愉快な気がするのだが、彼女は気の強そうな眼差しが印象的すぎてそんな気もしないのが不思議だ。
彼女がレオニスと話すときは、激しい身長差のおかげでいつもこうなる。…さぞ首が疲れるだろうと思うが、彼女は構わずに自分と話したがるのが、レオニスには不思議だった。
自分がそうまでして話すほど面白い人間ではないことは重々承知しているし、会話が続くわけでもない。それでも彼女は、何かとレオニスと話したがった。
「隊長さ〜ん、服買ってよ」
「……キール殿に頼めばよかろう」
「それが出来たら、苦労しないわよ」
むぅっとふてくされた顔に、レオニスは苦笑する。この少女は、感情を隠そうとしない。ヒトの感情を読み取るのが苦手なレオニスにとって、それは歓迎すべきものだった。
だが、メイはレオニスの心中に全然気づかないらしい。大変珍しいはずのレオニスのかすかな笑顔に気づくと、すっかり憤慨してしまった。
「隊長さんっ。たしかに隊長さんには大したことじゃないかもしれないけど、女の子にとっては切実な話なんだから!ヒトの不幸を笑うなんてひどいっ」
普通ならば、レオニスに対してそんな恐ろしいセリフは出てこないのだが。そんなところも、彼女らしくて微笑ましい。そんな彼女だから、自分なんかに懲りずに何度も話し掛けてくるのだろう。
「すまん……」
謝るものの、頬の緩みはとまらない。こんな姿、部下達に見られれば何を言われるかわかったものではない、と思いつつもやっぱりレオニスの口元は笑んでいた。
「もうっ!!」
もはや何を訴えても、レオニスの口元の笑みは消えないらしい。
(折角、勇気を出してねだったのに…!隊長さんのばかっ)
騎士団でも有数の堅物のレオニスが、メイの遠回しの隠喩に気づくはずもない。……わかってはいたが。
メイはすっかりあきらめていたが、それでも一応、抗議の意を示すため、つーんとそっぽを向いた。
……今、思い返してみれば、あの時、なんとしでも笑みを引っ込めるべきであったかもしれない。いつも、人前でするように。
だが、ストレートな感情表現をする彼女を見ていると、ついつられてしまうというか…。
我ながら、おかしな話だ。一回り近くも年下の娘に、こんなに振り回されてしまうなんて。
だが、もっとおかしいはそれを不快に感じないこと。むしろ、自分を振り回すほどのその明るさが愛しいとすら思えるのだから。
重症だ…。
レオニスは噴水の縁に腰掛けて、組んだ手の上に額を当てた。
この感情を、自分は確かに知っている。
もう二度とあの苦い結末を味わうまいと、胸の奥ふかくに固く封じたはずの感情。その感情がかすかな綻びから、漏れ始めているのを感じる。
『隊長さん』
少女がそう呼ぶたびに、我知らず笑みが零れてしまうように。この胸の中に凍えているはずの感情が、新たな命を得て、芽吹こうとしている…。
その新しく芽生え始めた感情を、認めてしまってよいものか。
あの恋を悔やんでいるわけではない。−−だが。
あの空虚感にはもう二度と、耐えられはしないだろう……。
彼女はいずれ、違う世界へ帰る人間。きっとやってきたときのように、ふっと自分の前から、姿を消す……。
ふぅ、と吐息を漏らすと、迷いを断ち切るように立ち上がる。
レオニスはいつもの無表情で夕暮れはじめた町を、再び騎士団宿舎への道をたどり始めた。
先ほどの婦人服店に差しかかったとき、思わぬ人物を認めて、レオニスは足を止めた。
その人物は薄物の、腕や体に水色のリボンの巻き付いた白い服を纏い、揃いの帽子を栗色の髪の上にのせている。眼鏡のガラス越しにちらりと見える、きつい眼差しは今はショーウィンドウの向こうの、涼やかなオレンジ色のワンピースに注がれていた。
さきほどのレオニスそのままの仕種で、魔法研究院の若年緋色の魔道士は例のワンピースをじっと見つめている。
レオニスは一瞬、驚きに大きく目を見開いたが、やがていつもの表情に戻り、止まってしまった足を動かそうと一歩踏み出す。だがその視線は青年に止まったままだ。
どうしてか外せぬ視線の先で、キールはふぅ、と吐息を漏らすとショーウィンドウから身を離した。そのまま、こちらへ歩いてこようとし、見事に視線がかち合ってしまう。
「あ…」
キールはわずかにばつの悪そうな顔をし、レオニスも観察するように凝視していた気まずさから、二人は向かい合った状態で足を止めた。
もとより、見知らぬ仲ではない。前々から怪我人の治療に出向いてくれていた魔道士であるし、トラプルメーカーのメイの保護者である。いくどとなく、彼女の後始末にやってきているのを見かけていた。
「こんにちは。クレベール大尉」
「…こんにちは、キール殿」
ぺこっと頭を下げられて、型通りの挨拶を交わす。
「……メイの服探しか?」
そのまま通り過ぎてしまえばよいものを、するりと口から付いて出た言葉に、かぁっと頬を染めたキールよりも、レオニス自身が驚いていた。
「そういう…わけでは……」
ほてった頬を隠すように、下を向いて小さく返答する。
「?メイに服をねだられたのではないのか?」
あの時は確かに、「そんなこと、できるわけないじゃん」とは言ってはいたが、メイのことである、あの調子でキールに服をねだったのではなかろうかと思ったのだ。
「それはありえません!」
急に声を荒げて力説した緋色の魔道士に、レオニスはいささか驚いたような素振りをみせた。それは本当に、“いささか”であったのだが。
「あ……っ、すみません」
「……いや…」
気にしていない、とレオニスが態度で示すと、キールは具合悪そうに頭に手をやった。
「やはりあなたも、メイの服を気にかけているんですね…」
「あなたも…とは?」
「あいつがいつまでも冬服であるということに関しては、兄を筆頭に殿下、姫、シオン様などに散々言われているもので…。俺も、頭を痛めてるんです」
レオニスは内心、「おや?」と首をかしげた。レオニスは最初、キールが買ってくれないばかりにメイが自分に訴えてきたのかと思ったのだが、この思いつめたような様子をみると、どうやら真相は違いそうである。
「買ってやる気が無い、というわけではないのだろう?」
「当然です!」
強い否定に、溜め息がもれそうになる。
それではなぜ、メイは自分に服をねだったりしたのだろう。彼女の行動の真意が、どうにも読めない。
「では、買っていってやったらどうだ」
「え?」
虚をつかれたようなキールに、再び同じ言葉を重ねてやる。
「だから、買っていってやったらどうだ、といったのだ」
「だ…、駄目です…」
「?」
「だって、その…。あいつ、男が服をプレゼントするのは、……その…」
キールはその時のメイの言葉を思い出したのか、かーっと耳まで赤くなった顔を隠すように、眼鏡に手をやった。
「……脱がす目的があるからだって……いうんです…」
「………」
絶句…である。
確かにそういわれてしまえば、この生真面目な青年は服を買い与えるなどということは出来ないだろう。だが、周りはメイの冬服を気にかけて、色々と言ってくる。完全に板挟み状態だ。先ほどからの、彼の怪しい言動が、その苦悩から発せられていたことをレオニスは悟った。
そこまで考えたところで、おや?と疑問が芽生える。
それではなぜ、彼女は自分に服をねだったのか。
自分をからかったのか?
それとも、レオニスなら、絶対、買ってくれることはないだろうとたかをくくってのおねだりだったのだろうか。
それはつまり、自分を男として見ていないと言うことか?
その結論にたどり着いた途端、レオニスの中に苛立ちが生じる。
突然、眉根を寄せた男にキールは内心、ひやりとする。
失言だったかもしれない。
「…あの。俺、失礼します」
自分の発言にレオニスが不愉快になってしまったと思ったキールは、会釈をして、そそくさとその場を後にした。
自分同様、色恋沙汰にはめっきりらしい近衛騎士には、ショックな言葉だったかもしれない。
わずかな罪悪感を覚えつつ、キールは後ろも振りかえらずに通りを足早に通り抜けていった。
自分の感情のかけらが表に出て、それで青年魔道士を脅えさせてしまったと判断したレオニスは、感情を押え込むようにひたいにそっと指先で触れた。
こんなに容易に感情が出てしまうとは、自分はまだまだ半人前だったらしい。
「修行が足りないな…」
つぶやき、きびすを返したその眼の端に、鮮やかなオレンジ色が飛びこんでくる。
もし。
もし、自分が彼女の予想を裏切って、この服をプレゼントしたら彼女はどういう行動に出るだろうか。
キールのときとは反対に、少し驚いて、でも受け取るか。
…それとも、慌てて突き返すか。
いずれにせよ、彼女の意識の中の自分が、変わることは確かだ。
「………」
レオニスは、再びじっと見入るようにショーウィンドウに当てていた手を引き剥がして大きな溜め息を漏らした。
「馬鹿なことを…」
自嘲して、宿舎へと歩き出す。
人影もまばらになりかけた街に響く、いつもどおりの単調で早いリズムの足音とは裏腹に、レオニスの頭は、ワンピースを受け取ったときのメイの反応のシュミレーション結果でいっぱいであった。
後日、やっぱりワンピースの売っている婦人服の店で立ち止まってしまったレオニスは、ショーウィンドウの向こうに飾っていたはずのワンピースがなくなっていたことに気づき、深い後悔を味わうこととなる。
だが、次の瞬間、待ち伏せていたように現れた気前良さそうな女店主に、プレゼント用に包装されたワンピースと揃いの靴を手渡され、
「わかってるよ、恋人へのプレゼントなんだろ?あんたみたいな堅物そうな男には、女物の服なんて買いづらくて当然さ。さ、頑張りなよ」
などと励ましの言葉までかけられてしまったレオニスは、あいまいに肯くしかなかった。
ワンピースが無いことに気づいた瞬間はあれほど後悔し、あの時買ってプレゼントすればよかったのだ、と激しく後悔したにもかかわらず、実際にこうして手にしてしまうと、やっぱりキールの「男は服を脱がすために…」のフレーズがぐるぐると頭をめぐってしまい、レオニスは魔法研究院へ行くことが出来ずにふらふらと宿舎に帰ってしまうのであった。
その後、ワンピースはしばらくレオニスの手元で眠りにつくことになる。
メイがそのワンピースを着ることが出来るのは、もう少し先の話なのであった…。
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