「遅いな・・・」青年はぽつりと呟いた。
太陽が西に傾き、その姿をまさに隠そうとしていた時刻。
太陽よりも眩しい笑顔を見せる少女の姿を思い描き、青年は切ない表情をした。
タイムリミットまで、あと数分。ぎりぎりを駆けていたメイの視界に飛び込んだのは、意外な姿。こんな時間にいるとは思えない人物だった。
走り寄り、背後から肘でどついて、声を掛ける。
「キールっ!」
「うわっっ!」
なだらかな斜面の手すりに身を預けていた青年は、危うく手すりを乗り越えそうになり慌てた。
慌てさせた方は何食わぬ顔で平然といった。
「・・・何してんの?」
「お、お前・・・危ないだろっ!」
「こんな所でボケッとしてるからじゃないっ!。何してたのよ?もう、門限じゃないの?」
時分のことは棚に上げて、いつも門限に厳しい、保護者に向かってメイは言った。
「あ、ああ・・・ちょっとな・・・」
「ちょっと、何??」
メイは小首をかしげて、緑色の瞳を覗き込んだ。
子リスのように無邪気で可愛いその様子に、キールはぐっと手を握り締める。ふいっと視線を逸らし研究院に向かって歩きはじめる。
「あ、ちょっと、何なのよ?」
メイは慌てて、彼を追いかける。肩掛けの端を握ってしまい、するりと取れる。
「あ、おいっ!」
「何してたのか言わないと、返さないよ?」
「・・・何、バカなこと言ってんだ・・・」
キールは少々呆れがちに言った。
「ふーんだ。どーせ、あたしは出来の悪い教え子ですよ!バカだから、ちゃんと言ってくんないとわかんないよ?キール最近悩み事あるでしょ。あたしじゃ、全然力になれないかもしれないけど、話しくらいなら、聞いてあげるよ?」
キールは小さく溜め息をついた。彼の悩みなど、到底彼女に聞かせるわけにはいかないのだ。
「出来の悪い生徒がどうしたら成績上がるかと思ってな」
「む〜、何よそれっ!」
「ほら、門限遅刻するぞ」
話しを切り上げ、帰ろうとしたその時。
「キール、もしかして、あたしを待ってたの?」
ずばりと、切り込まれる。
それは、メイにとっては大した深い意味などない発言だったのかもしれない。
しかし、キールにとっては、心の内を言い当てられた事になる。メイに対する自分の気持ちを。
メイに背を向けていたキールが彼女を見る。
メイは、キールから奪った肩掛けを自分の肩に巻いていた。さながら、マフラーのように。
「あったかいね、これ」
無邪気にメイは言った。
自分がしていたモノを付けてる。・・・それだけで、キールはなにやら自分が抱きしめてるような錯覚に陥りそうになっていた。緋色の肩掛けが、鮮やかに心に刺さる。冷静な自分をどこかに追いやるように。
キールはメイに近づき、肩を掴む。
「何?」
いつもとは様子が異なるキールに、メイはのまれてこくんと、つばを飲む。後退るのも忘れて、キールの瞳を見る。いつになく潤んだような、誘うような眼差し。
掴まれた肩に指が食い込む。
「キール・・・痛い・・・」
少し顔をゆがめた少女にキールははっとして、手を放した。
「悪い・・・」
顔を背けながら、キールは言った。
「ううん・・・あたしこそ、ふざけすぎたね」
メイは緋色の肩掛けを外して、キールにかけてやる。
「やっぱりキールの方がしっくりするね」
少女のぬくもりが。微笑が。キールの心を乱す。
血が逆流を始めるかのように、激しく鼓動が鳴る。
その、鼓動を打ち消すように、鐘の音が鳴り響いた。
「げっ!マズイッ!マジで間に合わないよっ!行こうっ!」
メイはキールの手を引っ張った。
自然に繋がれた手。
キールのそれよりも、小さく、柔らかな手のぬくもりを彼はもっと感じたくて、メイの手を引き寄せる。
「うおっ?!」
駆け出そうとしていた、メイと。引きとめるキール。力と、勢いの反動で、メイはキールの胸へと飛び込む形となった。
「あ、ごめんキールっ!」
自分が悪いわけでもないのに、動転して反射的に謝り、離れようとしたメイを、キールはきつく抱きしめる。
「?キ、キール・・・?」
「どこ行ってたんだよ・・・」
「は?」
「・・・あんまり遅くなるなよ・・・」
耳元で囁いて、キールは腕の戒めを外す。そうして、メイの顔を見ることなく歩き出す。
「キールっ!」
今度はメイが思いっきり、キールの腕にしがみつく。
夕日に染まる以上に真っ赤になってる彼の顔を見て、メイはにやにやと笑いながら言った。
「やっぱり、もしかして・・・待っててくれたんだ?」
「お、俺は・・・!」
「ありがとうね・・・」
そう言って、キールの腕に自分のそれを絡めて、身体を密着させる。
柔らかな膨らみがキールの肘に当たり、彼はますます顔を赤くさせて、足早に歩き出そうとする。
「ちょっ、ちょっと!!そんなに早く歩いたってどーせ間に合わないじゃないの?・・・折角だから、ゆっくり歩こうよ・・・」
ぎゅっと、キールの腕を掴んでメイは言う。ちょっとだけ、拗ねたような表情でキールを見る。
いつも肝心な自分の心を言わない彼。それはもう、承知しているけど、出来ればもう少し自分に構って欲しい・・・と、メイは何時頃からか願っていた。だから、こうした何気ない時間をもっと共有したいと、メイは思った。
「・・・それとも・・・あたしと腕組んだりとか・・・嫌?」
ホンの少し瞳を潤ませてメイはキールを見る。
その表情が余りにも可愛らしくて、キールは思わず再び抱きしめてしまいそうになって、慌てて顔を背けた。
「嫌ってわけじゃ・・・」
込み上げてくる熱い想いを堪えた為、声が少し掠れた。
「キール?」
少し訝しげに言って、彼の顔を覗き込もうと首を傾げる。さらさらと音を立てるように、肩から髪が滑り落ち白いうなじが僅かにのぞく。
(あ、だめだ・・・)
と、キールは思った。
メイは視界がふっと、翳った、と思った。
瞬間、唇に何かが触れて、すぐさま離れた。
「・・・何・・・?え?え?ええええ?????」
メイは頭のてっぺんから湯気が出てきそうなほど、顔を真っ赤にして、唇を塞いだ。
「な、なんで・・・キ、キ、キス・・・すんのよっ!」
「な、なんでって・・・、・・・・・だからだよ・・・・」
メイ以上に顔を赤くしてるキールはもごもごと口篭もる。
「え???」
「好きだからだよっ!じゃあ、な!」
言い捨てるように、言うだけ言って、キールは呆然とするメイを置いて歩き出す。
はっと、我に返ったメイは勢いよく駆け出し、キールの背中に抱きついた。
「うわっ!!」
メイは腕を回し、背中から抱き締める。
「キールってば!ずるいっ!」
「な、何がだよ・・・」
「あたしにも言わせてよ・・・」
「・・・?・・・」
「大好きだよ・・・・・・」
メイが言った途端。キールは彼女の腕を外した。くるりとメイの方へ向き、信じられないような瞳を向けて呟いた。
「嘘だろ・・・?」
「・・・なんでよ?」
真剣な、偽りの色など微塵も感じない少女の瞳に、キールは真実を見つける。
「俺でいいのか?」
「うん・・・」
「本当に?」
「くどいっ!」
メイがそう言うと、キールは瞳を和らげる。新緑の若葉を想い描かせる瑞々しくもあたたかな輝きに、メイが見惚れていると、それが近づき、唇が重なる。
門限に遅れた二人は、キールの部屋の窓から入り、彼の部屋で夜を過ごした。
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