君への想いと赤い石

久方 蒔 様

ライン

「借りるだけ・・・ちょっと借りるだけって言ったじゃない・・・っ!!」
 大きな瞳から零れ落ちる涙を拭おうともせず、少女は叫んだ。
 手に握られているのは、何かの残骸。もう元の形さえも分からないほど、壊れた何か。
「壊れたものは仕方がないだろう。生活に支障のあるものなら支給する」
 冷静に言い放った青年の言葉が終わらないうちに、少女の手が閃いた。
 高く音を立てる頬。
 ざっくりと開いたその心の傷を隠すことさえできず、メイは叫ぶ。
「・・・・嫌い。皆大っ嫌い!!」
 痛むのは、頬か。
 熱を持ったそれを、キールは確かめるように触れた。

 積み重ねられていく日々。
 増えてゆく記憶。
 育っていく思い。
 けれどそれは全て砂上の楼閣。

「キール。報告書です」
 夜になり、いくつかの部門を回った書類がやっとキールの手元に来た。
 届けてくれた魔導士に短く礼を言い、キールがそれを受け取る。
 目を通した書類に記載された結果。
 それは、メイから借り受けた私物を壊す羽目になった実験のデータ。
「・・・・・・・・」
 予想以上の、結果だった。
 ぬか喜びはさせたくなかった、だから黙っていた、この実験の意味。
 メイとメイのいた世界を繋ぐ次元座標の確定。
「・・・・・・・・」
 息さえも洩らせず、苦しげに唇を噛み締める。
 息をするためにでも口を開けば、違う言葉が出てきそうだった。

 これで、あいつを元の世界に帰してやれる。

 心の表だけでそう思う。
 今まで続けてきた研究に、このデータの結果をくわえれば、すぐにでもメイを帰すことができる。
 帰還魔法の完成まで、一月もかからないだろう。

 もれそうな息。
 握りしめる手は血の気が引いて白い。

 傷ついた心を映した瞳。 
 常ならば、決してみせることのない涙。
 あの気の強い少女は、自分の前で泣いたことなどなかった。
 それだけ、帰りたいのだ。

 元の世界との絆。
 それを砕いた自分たち。

 ―――決して交わることのない、思い。

 喜べばいいんだ。
 これで、あいつを帰してやれる。
 これで、俺の実験は成功する。  
 これで、静かな日々が戻ってくる。

 あいつのいない、日常が。


「メイ! お誕生日おめでとう!」
 王宮の一室にいくつもの声が唱和する。
「えへへ、ありがとー!」
 照れくさそうに破顔するのは、茶色の少女。
 その周りをかこんで幾人かが綺麗にラッピングされたプレゼントを渡す。
 今日はメイの17歳の誕生日だ。
 親友であるディアーナの提案で、ここ王宮の一室でメイの誕生日を祝っている。
 同じく親友のシルフィス。
 王宮文官のアイシュ。
 宮廷筆頭魔導士シオン。
 皇太子セイリオス等、そうそうたる顔ぶれのなか、メイがプレゼントを開けては嬉しい悲鳴を上げている。
「うわー、可愛い」
「でしょう。メイに似合うと思いますの、その帽子!」
「あ、服だー」
「それ着てそのうちデートしような」
「却下だ」
 筆頭魔導士のお誘い、容赦なく突っ込む皇太子の言葉に、皆がどっと笑う。
 幸せな、楽しい時間。
 でもたった一つのことがメイの心をツキンと痛ませた。
 あの日、キールを殴って以来、メイはキールと顔を合わせていない。
 彼はここしばらく幾人かの魔導士と忙しそうに動き回っており、メイの課題の提出も無人だった彼の部屋に置いたまま出てきた。
「ねぇメイ、今日はこのままわたくしの部屋にお泊まりしてくださいな」
 メイの世界の仲の良い女の子同士の風習(?)がお気に入りのディアーナが、ここぞとばかりにメイにねだる。
 特別な日くらいお兄さまも許してくださるでしょ?
 可愛らしくねだる妹にセイリオスが苦笑する。
「今日だけ、だぞ」
「ね、メイ。そうしましょ」
「あ、ごめん。今日はキールに出かけるって言ってなかったから。
・・・・・・・・・門限までに帰らなくっちゃ」
 本当は、そんなことが理由ではないけれど。
「ええーーーーっ。研究院には後で連絡させますから」
「また、今度ね」
 うるうると見つめるディアーナに、手を合わせてメイが謝る。
 自分が悪かったとは思わないけど、でも、やっぱりこのままだと嫌だから。
 キールに会いたい。
 いつもの様に顔を会わせて口喧嘩して。元通りの方がいい。
「じゃ、今日はありがとね!」
 絶対絶対、帰しませんわ〜!
と抱きつくディアーナからするりと身を離して、メイが軽やかに駆け出した。


 門限の一つ手前を知らせる鐘がクラインに鳴り響く。
 研究院に向かっていたメイが、足を止めて、朱金の町並みに眼を奪われた。
「きれー」
 とろけるように沈む太陽。
 藍色と赤のまじり合った空に、星が瞬きはじめる。
 ゆっくりと消えていく太陽の光のかわりに、家々に灯る明かり。
 温かい家の気配。
(お母さんたち、今ごろどうしてるかな)
 去年は、友だちが祝ってくれた誕生日。夜には家族で食事に出かけた。
 両親ともに忙しい家庭ではあったけれど、特別な日には必ず家族で過ごした。
 でも、今年はメイがいない。
 普段はなにげなく過ごせても、こういう時には、胸に空いたものを自覚する。
(帰りたい、のかな。あたし)
 しぶしぶ貸した、向こうの世界から持ってきた品を壊されたときはどうしようもなく辛くて、腹が立った。
 キールを信じてたから、裏切られた気がした。

 帰りたいという気持ちは確かにある。
 大切な人々が待っている。
 寂しさに襲われて、一人で泣いたりもする。

 でも

 大切な友だち。優しい人々。
 大切な人がここにもいる。

「・・・・・・・何してるんだ、メイ」
 想っていた人に声をかけられ、メイはびくりと振り向いた。
 そこにいるのは夜の蒼い空気の中でさえ、緋色の肩掛けが鮮やかな青年。
「キール。どしたの、珍しい」
 こんな時間に、こんなところで彼に会ったことはない。
「用事で、街にでてたからな」
 相変わらず、愛想のない顔で腕を組んでいる。
「だったら王宮にも来てくれればよかったのに」
 自分は言わなかったけれど、多分知らないわけではなかっただろうに。
「忙しいんだよ、俺は」
「けち」
 むっとふくれつつも、いつもの会話にほっとしている自分がいる。
 よかった、いつも通りだ。
「誕生日くらい祝ってくれてもいいんじゃない?
そんなんだったら、あんたの誕生日はアイシュしか祝ってやんないから」
 憎まれ口をたたく彼女に、彼が、ぽんと何かを放った。
「やる」
 ビロードの細長い箱。
「なに? もしかしてプレゼント、とか?」
 開けてもいいのかと目で問うと、青年が頷く。
 しゃらりと細い銀の鎖が手のなかで音を立てた。
 赤い石の繊細な細工をつけたネックレス。
「誕生日だろう」
「くれるの?」
 まさかキールになにか貰えると思わなかったメイが問い返す。
「ああ。護符だ・・・・・・帰還魔法を実行するときに、お前の身を守ってくれる」
 蒼い闇の中、緋色の肩掛けだけが目に焼きつく。
「・・・・・・・・え?」
「帰還魔法が完成した。実行は一週間後だ」


 部屋の扉を閉め、メイがぼすんとベッドに倒れ込んだ。
 あの後、キールに連れられて魔法研究院に帰ったメイは、そのまま長老達のもとへ連れていかれ、いろいろな話を聞かされた。
 帰還魔法を受ける上での危険性と心構え。
 そして、部屋に帰ろうとしたメイに、長老の一人が謝った。
「すまなかったね。こちらの都合で君に辛い思いをさせた」
 この間の私物の破壊も、帰還魔法のデータをとるためにやり過ぎたのだと。
 でも、そのおかげで、ここまで早く魔法が完成したのだと。
「キールが今まで言わなかったのは、君を失望させたくなかったからだろうね」
 年老いた白い髭の魔導士は慈しむような目でメイを見る。
 実験動物あつかいもされてさんざん嫌な思いもしたけれど、全員が悪意をもってメイを見ていた訳じゃない。

 魔術の徒。
 世界の構成と真理の探究に心を奪われた存在。

 保護者の青年がその最たる者で。
 決して、優しさや、思いやりがないわけではない。

(帰れるんだ、本当に)
 信じられない。
 思いを馳せていた元の世界に帰ることができる。
 なのに、喜びより、表現しようのない苦しさが胸を締め付ける。
 身を投げ出したときに、スカートのポケットから滑り落ちた鎖が微かな音を立てる。
 赤い石。
 帰還魔法の余波から身を守る、護符。
 キールが初めてくれたプレゼント。
(お餞別、ってやつ、なのかな)
 自分の考えに涙が溢れてきた。
 悲しい。
 悲しくてたまらない。
(キールは、あたしのこと帰したいんだ)
 当たり前だ。
 自分は彼にとって、実験の失敗の産物でしかない。
 成り行きで保護することになっただけの、ただの他人だ。
 半年もの時間を過ごすうちに、ここに自分の居場所があると思ってしまった。

 補助魔法をかけてくれる優しい手も。
 文句を良いながらも側にいてくれたのも。
 ―――全ては責任から。

「・・・・・・・っ」
 嗚咽を上げそうになる口を、手で塞ぐ。
 ぼろぼろと容赦なく零れる涙。
 それを袖で拭う。

 現実は容赦なく襲ってくる。
 別れも出会いも自分の手の中にはない。

「荷物・・・まとめなきゃ・・・っ」

 半年の間に増えた私物。
 今日貰ったプレゼント。
 たくさんの思い出。
 せめて、できるだけたくさん持って帰りたい。
 でも、きっとこのネックレスは、見る度に自分を悲しい気持ちにさせるだろうけれど。

 赤い石を手にしてメイは、また少しだけ、泣いた。


「嫌ですわっ、絶対絶対、嫌ですわっ!!」
 翌日、帰還魔法の完成を知らせにきたメイに、ディアーナがしがみついて泣きだした。
「だって、帰ってしまったら、二度と会えませんのよっ。そんなの嫌・・・・・っ」
「ディアーナ」
 二度と会えないということがどういう事か知っているだけに、ディアーナはその痛みに敏感だ。
「クラインでずっと暮らしては駄目ですのっ・・・わたくしがお願いしても駄目ですの・・・っ」
 しゃくり上げる一つ下の少女の背中を撫でてやりながらメイが優しく言う。
「でも、あたしはここの世界の人間じゃないから」
「そんな、こと、関係ありませんわっ。メイ・・は、わたくしのっ、大切なお友だちですわ」
「あたしもディアーナのこと好きだよ」
「ディアーナ。お前もメイが大切なら、メイを大切に思って待っている人の気持ちがわかるだろう?」
 ずっと見守っていたセイリオスが、ぼろぼろと涙をながす妹をメイからそっと引き離し抱きしめる。
「家族を失うつらさを、メイに味わせるのかい」
「・・・・・・・・・・っ」
 その言葉に、さらに涙が落ちる。
 分かっているのだ、自分にメイを引き留めることができないくらい。
 でも、大事な人を失う痛みがディアーナを苦しめる。
「ね、これ、持っててね」
 ディアーナの手に、メイが何かを渡す。
「向こうの世界から持ってきたあたしの私物。ディアーナに持ってて欲しいの」
 元の世界に戻れるなら、向こうの思い出に固執する必要はない。
 そのかわり、こちらの世界の大切な人に持ってて欲しい。
「メイ・・・っ」
「メイ、すまないけれど、今日は妹と一緒にいてやってくれないかい」
 泣きじゃくるディアーナを宥めながら、セイリオスが言う。
「せめて、せめて、帰るまで、一緒にいてくださいませ」
 残された僅かな時間を一緒に過ごして欲しいと懇願する親友に、メイは笑って頷いた。
「いいよ」


「メイ、それ。綺麗ですわね」
 ディアーナのベッドに一緒に潜り込んだメイの首からしゃらりと鎖が落ちる。
「護符だって。キールにもらったの」
 もたれかかるディアーナの体温が気持ちいい。
 ディアーナが子猫のようにぴたりとすり寄る。
「メイは、本当に、帰ってしまいますの?」
 メイを見上げる瑠璃色の瞳。
「本当に帰りますの?」
 何を言いたいかは分かる。
 はっきりと言ったことはないけれど、女の子同士、相手が誰を想っているか知っている。
「帰りたいんですの?」
「帰りたいし、帰りたくない」
 意地を張ってもしかたがないので素直に言う。
「帰っても辛いけど、帰らなくても辛いから」
「簡単に行き来できればいいですのに」
 拗ねたようなディアーナの呟きにメイが笑う。
「あたしも同じようなこと前に言った」
 そんな簡単に出来たら苦労しないと、彼にぴんっと額を弾かれたけど。
「シオンがきっと何とかしてくれますわ、わたくし、一生懸命お願いしますもの。
そうしたら迎えに行きますわ」
 彼女が全幅の信頼を置く宮廷筆頭魔導士も、難しいと言っていたのだけれど。
「うん、楽しみにしてる」
「絶対ですわ。約束ですのよ」
 無邪気に信じられるほど、お互いに子どもではないけれど。
 優しい約束が嬉しいから、今は手を繋いで眠ろう。


 ぽーん・・ぽーぅん・・・
 部屋の時計が、深夜にさしかかった時刻を告げる。
 ディアーナは泣きつかれてすぐに眠りに落ちてしまった。
 そんな彼女を少し離して、メイはするりとベッドから抜け出だした。
「言わなきゃだめ、ねぇ」
 眠る前に、ディアーナが一生懸命メイに言っていた言葉を反復する。

<メイは、本当にそれでいいんですの? キールに何も言わずに帰るんですの?>

 胸にある気持ち。
 それを告げるのはもう簡単だ。
 なぜなら別れはもうそこにある。

 けれど湿っぽくなるのは趣味じゃない。
 どうせ別れるなら、何もなかったようにカラリと笑って別れたい。
 振られて平気な顔をできるほど、多分、平気じゃないから。

「メイ〜?」
 眠れない気持ちを沈めるために、宮廷の中庭を散歩していたメイに誰かが声をかけた。
 牛乳瓶底眼鏡の、気の優しい青年。
「アイシュ。どしたの、残業?」
 深夜とも言える時間に、文官がいるものだろうか。
「女の子が、そんな格好でふらふらしてはいけません〜〜〜」
 夜着一枚のメイに、あわててアイシュが肩のスカーフをはずしてかける。
「ありがと」
 アイシュの体温の名残が温かくて、嬉しい。
 にこりと微笑むメイに、真っ赤になるアイシュ。
 双子なのに、本当に違うな。
 そう思ってメイが忍び笑いをもらす。
「そ、そういえば〜、帰還魔法が完成したんですね〜。
あなたが帰ると、寂しくなりますね〜・・・・」
「そお? んーでも、研究院の予算は減るから、アイシュの苦労も少しは減るよ」
 以前に、皇太子のセイリオスが、メイが来てから研究院の予算が増えたと言っていたのを茶化して言う。
「そうですけど〜、でも、やっぱり寂しいです」
 否定しないあたり、事実だったらしい。
 まあ、いいけど。
「キールもきっと寂しがりますよ」
「清々するんじゃない。苦労が減って」
 つきん、と胸が痛む。
「そんなこと、ありませんよ。メイ」
 優しい眼差しで、アイシュが言う。
「そのネックレス、キールが貴方に渡したんじゃありませんか?」
 服の上にでていたネックレスを見る。
「帰還魔法の余波から、身を守る護符だって」
「護符にもなりますけど。それは僕たちにとって特別な石ですから〜」
 首をかしげるメイに、アイシュがにっこりと笑って秘密ですけどねと言う。
「キールは不器用で優しいですから、きっと言えないんでしょうね〜」
「何を?」
「それはキールに聞いてください〜、僕が言うことじゃありませんから〜」
「・・・・・・・・キールとは、多分、帰る日にしか顔あわさないもん」
「メイは、本当にそれでいいんですか?」
 何もかも見透かしたような、微笑み。
「アイシュって、たまにお兄さんでむかつく」
「だって、僕の方がお兄さんですから〜」
 ほえほえとした性格のくせに、侮れない人物なのは知っていたけど。鈍そうな彼にまで、自分の気持ちはばれてしまっているのか。
「出来ることなら、後悔はしたくないですから〜」
 深い眼差し。
「後悔なんて、誰でも、いつでもするよ」
 後悔しない人生なんてありえない。
「そうですね〜。でもどっちのほうが良いかは貴方自身が決めることです〜」
 言ってしまった言葉で苦しむか。
 言わなかった言葉で苦しむか。


 蝋燭の火が、書物を照らす。
 頭に入らないことを自覚しつつも、それを目で追うことを止められない。
 無意味な、無駄な時間。
 それくらいなら、きちんと睡眠をとる方が有意義だ。
 一つのことが終わったからと言って、全てが終わる訳じゃない。
 誰がいても、誰がいなくても、明日は続いていく。
(我ながら、女々しいな)
 感傷的な自分をキールは喘った。
 立ち上がって、燭台を手にする。
 無駄なことをするのは、趣味じゃない。
 眠れるかどうかは別でも、ベッドにもぐりこんだ方がましだろうと移動しようとしたキールの耳に、物音が聞こえた。

 かんっ

 窓に何かが当たる音。
「きーるぅ・・・・起きてる?」
 窓の外から聞こえる声。
 それは、今、ここにはいないはずの彼女の声。

「・・・・・・・・お前、どうしたんだ」
 窓に近づくと、ガラスの向こうでひらひらとメイが手を振っていた。
「今日は、王宮に泊まっているはずだろう?」
 キールの持つ燭台の明かりが、メイの瞳を照らす。
「散歩、しよっ」
 にっこりと笑って突拍子もない提案をする彼女にキールが無言を返す。
「最後なんだから、いいじゃん、つきあってよ」
 夢でも幻でもなく、冗談抜きで、本当にメイがそこにいる。
「・・・・・・・女が、こんな時間に一人でうろうろするなよ」
 かろうじてそれだけを返したキールにメイが口を尖らせる。
「危なくなったら武術魔法ぶちかますわよ」
 冗談抜きでしそうな彼女に、キールが息を吐く。
「姫が、心配するだろう。王宮まで、送っていってやる」
 それは遠回しな承知の言葉。
 椅子にかけてあったマントを手にとり、ばさりとメイの上に落とす。
「羽織ってろ。風邪ひくぞ」
「はぁい」

 側にいたい。けれど側にいたくない。
 今共に過ごす時間は、その先にある別れの痛みを鮮やかに描く。

 降るような星空の中、ランタンを手に、二人が歩く。
「用事があるなら、昼間でも良いだろう」
 横を歩くメイの髪が揺れる。
「昼間は、キール忙しいじゃん」
 確かに、ここしばらくはずっと帰還魔法の準備のために忙殺されてはいるが、本当に用事があるならそんなことは気にせず押しかけてくるはずだ。
「それに、こういうのもいいでしょ。ほら、星綺麗だし!」
 一歩駆け出し、くるりと振り向いて空を指さす。
「あたしの住んでるとこじゃ、こーんな綺麗な星空見れないし。見納めってやつにつきあってよ」
 彼女が何をしたいのか分からない。
「こないだは、殴ってごめんね」
 キールを見上げてメイが言う。
 多分、この間のメイの私物を破壊した件のことだ。
「お前が謝ることじゃない。悪いのはこっちだ」
 メイが、妙に素直で居心地が悪い。

 いつもと違うその様子は、やはり、帰る前だからだろうから。

「でも、キールが壊したわけじゃなかったし」
 ランタンの灯りと星明かり。
 それだけでは不十分で、茶水晶の瞳は何を映しているのか見えない。
「細かいものはね、ディアーナとかシルフィスとかにあげちゃうけど、キールは何かいる?」
 向こうの世界から持ってきた私物を形見分けのように配っているのを知っている。
「魔法反応とか、いろいろ実験することあるんでしょ。もってってもいいよ」

 あれだけ執着を見せた私物でさえ、帰れる今ではもう手放せるのか。

 痛みが胸を刺す。
 これで、彼女が一人で泣くことはなくなるけれど。
 その涙を止めたいと願っていたけれど。
「こっちの世界では骨董品になるから、結構いい値段でしょ。居候してたお礼!」
 カラリと言う言葉には躊躇いがなく、きっと彼女の心はもうここにない。
 囚われているのは、自分だけ。
「キール?」
 黙り込んでいる青年の顔を少女が覗き込む。
 あと、幾日もしないうちに、もうこんな風に彼女を見ることも出来なくなる。

「嬉しいか、帰れて」

 絞り出すような声。
 言わずに済ませようと思っていた言葉が零れ出す。

「あと少しだからな」

 手を伸ばせば触れられる髪も頬も、もう手が届かなくなる。

 今、ここにいる彼女さえ。
 時がたてば幻と同じ。

「お餞別、ありがたく受け取ったわよ」
 胸元をきゅっと押さえてメイが言う。
「・・・・・・・アイシュが言ってた。この石は特別な石だって。
キールは、あたしに言えないことがあるって」
 宥めようとしていた心を逆撫でる言葉。
「・・・・・・」
 あのおせっかいな双子の兄は、余計なことを言った。
 自分のことを考えて言ってくれたのだとは分かっている、でも、言いたくないことまでなぜ言わなくてはならない。
 告げても仕方のない言葉など無意味でしかないのに。

「魔法石をひとつ砕いた、それだけだ」

 彼らが一つずつ母親から譲り受けた魔法石。
 守りの力をこめて母親が言った。いつか大切な人ができたら渡すようにと。
 けれど、渡したい人間などもう出来ない。
 だから砕いて、彼女に一つ。もう一つを、自分で持った。
 たとえ離れても、つながりが欲しかった。

 その言葉を額面通りに受け取ったのか、言葉以上のことをメイは問わなかった。
 王宮の通用門まで来て、メイが門に手をかける。
「もう、実験までこんな風に二人きりで話せないだろうね」
 キールは実験の準備で忙殺され。
 メイは別れを惜しむ友人に囲まれる。
「送ってくれてありがと」
 うつむく瞳は、何を映しているのか。
「今までありがとう」
 浮遊魔法の応用で、メイがひらりと門を乗り越える。
 門の向こうから見つめる、まっすぐな瞳。
 二人の間に空いた距離。
「迷惑ばっかりかけてごめんなさい」
 門の鉄柵を掴む細い指。
「護符。大事にする」
 離れそうになった指を思わず重ねて掴む。
 はっとしたようにみつめる瞳。
「迷惑じゃない・・・迷惑じゃなかった。
お前がいて、楽しかったよ、俺は」
 迷惑だと思ったことも数え切れないほどあった。
 でも、それよりずっと側にいてくれるだけで心が温かくなった。
「キール」
 突拍子もない行動に目が離せなくて、彼女といるだけで全てが違って見えた。
 誰かをこんな風に欲したことはなかった。
 いつか帰る――自分が帰してやると誓った――人間に思いを寄せても無駄だと、自分に言い聞かせても、心は止められなかった。
 間に鉄柵があることに感謝しなくてはならない。
 なければ、きっと自分は彼女を抱きしめて閉じ込めてしまう。
 心のままに行動すれば、もう取り返しがつかない。
「・・・・・・・」
 伏せられた瞳。黙り込んだ青年に、少女は口を開いた。
「本当はね、言いたいことがあったの」
 震える指。
 重ねられたそれを抜取り、メイがキールを見つめた。

「キールが好き」
「・・・イ・?」

 何を言われたのか、言葉が頭の中で意味をなさなかった。
 ただ、目を逸らせず、目の前の茶水晶を見つめることしかできなかった。

「帰りたいけど、でも、帰りたくない。キールが好きなの」
 言葉がでなかった。

 彼のその反応をどうとったのか、彼女はにこりと笑って身を翻す。
「ごめんね・・・嘘。ちゃんと帰るよ―――送ってくれてありがと。お休み」
 青いケープがふわりとゆれる。
 揺れる髪、遠ざかる少女にキールは自分を取り戻した。
「っ、待、メイ!」
 胸に詰まって、言葉が声にならない。

 重なった想い。
 それを彼女は知らない。

 目の前の邪魔な鉄柵を、力の任せるまま、魔力でひしゃげて彼が走りだす。
「メイ!」
 青い衣装が目の前まで近づく。
 掴んだ手を、そのまま引いて、小柄な少女を捕らえる。

「っ、や、離して」
 謝罪の言葉は聞きたくない。
 惨めなだけだ。

 ばたばたと落ちる涙を見られまいと身をよじる少女を、逃がさないように腕の中に閉じ込める。
「好きだ」
 彼の言葉に、少女が体をこわばらせる。

「嘘」
「嘘じゃない」

 いやいやをするように暴れるメイの体をしっかりと抱きしめる。

「嘘ばっかり」
「嘘じゃない―――好きだ」

 栗色の髪に顔をうずめ囁くのは嘘のない言葉。

「お前が好きだ」

 キールの胸に顔を押しつけられたまま、くぐもった声。
 小さな手が、躊躇うように彼の服を掴む。
「って、帰したいんでしょ。あたしのこと、帰したいんでしょ」

 信じられなくて、信じたくて。
「お前が帰りたいのを知っていたから、言えなかった」
 震えているのはどちらなのか。
「きーる」
「言ったら、帰してやれなくなるから、言えなかった」
「キール」

 まじり合う体温。
 交わされた瞳。

「自分勝手だと分かってる。でも―――お前を帰したくないんだ」
「キール」
 涙の止まった茶水晶の瞳が、青年を映す。

「俺の側にいてくれ。ずっと」
 躊躇いがちに背に回される腕。
「いいの? 本当にいいの、側にいても」

 失われれば幻になるそれも。
 失わなければ、現実になる。

「側に、いてくれないか」

 幻が消え、確かなものがそこに出来た瞬間。
 二つの影がゆっくりと重なった。


 後日。
 あらためて経過を語ったメイにディアーナが問いかけた。
「それで、石の意味は聞けましたの?」
「んー。秘密」
 涙を誘った鎖を外した彼女が微笑む。
「で、かわりがそれですのね」
 王女らしくない言葉で、それでもどうしようもなく嬉しい顔でディアーナが揶揄する。
「ごちそうさまですわ」

 彼女の指に光るのは、鎖からはずした赤い石。
 それは永遠の約束を誓う証―――。

ライン

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