ラ・ヴィ・アン・ローズ。
その薔薇は、どんな色?
思い起こせば運命の夜。キール=セリアンは体調不良だった。
何せ1週間ほどまともに睡眠をとっていない。佳境に入った研究を実行段階に持ち込むために、彼は無謀なまでに徹夜を続けた。ところが、そうしてこぎつけた実験はといえば、心無い者の悪戯にあって見事失敗。ドラゴンなんて物騒な代物と死闘を演じ、気力体力使い果たしていた。
折りしも季節は晩秋。風は涼しく夜気は身に毒。怪我人にはちょっとばかりツライ時期である。
ここまで悪条件が揃えば、いくらまだ10代の若さとはいえ、そうそう体が持つはずもない―――のだが、とある事情から、彼は持ちこたえてしまった。
理由は『愛』。彼は、ほとんど産まれて初めて異性に興味を持っていた。
真相は『恋』。その対象は、異世界の少女。明るい茶色の瞳を持った嵐のような乙女は、鉄骨入りの堅物を初心な青年に変えてしまった。
”彼女の為なら”―――それは、恋する男の常套文句。
『もういいよ、キール。あたし、帰れなくてもいい』
実験失敗後、明くる日。
さんざん悩んで、彼は決意を固めた。恋しい少女のこの言葉が、幻聴か否かを確かめようと。
「・・・・・・よし、行くぞ」
気合いを入れて立ち上がる。
身体の節々が何だか痛いが、それは無視した。
少しばかり吐き気もしたが、それも無視した。
「・・・王宮は嫌いなんじゃなかったっけ?」
「うるさくなければ、嫌いじゃない」
月も清かな、秋の夜更け。青年は異世界の少女を連れて外に出た。
わざわざ王宮の中庭なんて場所を選んだのは、彼の努力である。
愛の告白というやつは、少なくともムードのある場所でなくてはなるまい―――朴念仁は朴念仁なりに、無い知恵を絞るものなのだ。
「キール。そんな噴水の近くに座ったら、濡れるよ?」
「別に構わない」
少し頭でも冷やしていないと、目眩がするのだ。
不思議そうに心配そうに見つめてくる少女―――メイ=フジワラの茶色い頭が、さっきからグラグラ揺れている。
「・・・今日のキール、変だよ」
「そうかもな」
そういえば、最後に食事を摂ったのは何時だっただろう?
ぼやっとしていると、首の後ろあたりが重くなってくるのを、根性で堪えた。
『ここで倒れたら、単なるマヌケだ』
全くそのとおり。理性はまだまだ健在だった。
「・・・自分で自分がわからなくなってくるんだ。確かにお前を元の世界に帰してやりたいって、そう思っていたはずなのに」
すらすらと流れ出る言葉。口下手な彼にしては破格の饒舌さである。
・・・何か喋っていないと気が遠くなりそうだ、という事情もあったかもしれない。
「幻聴も聞こえる・・・お前が『帰らない』って言ってくれたような・・・」
「キール・・・」
考えたくないが、マジで空耳だったかもしれない。
頭の芯がズキズキ痛んで、何か聞くどころじゃなかったような・・・昨夜の記憶もおぼろげなキールである。
「俺はおかしくなったのかもしれない」
睡眠不足、ストレス増大、栄養過少に打撲に火傷。
ここまでそろっておかしくならないヤツの方が余程どうかしている。
「・・・すまん。困らせてるな、俺」
「ううん、あたし・・・言ったよ。『帰らない』って」
「・・・・・・」
「帰れなくてもいい、帰らないって・・・キールの側にいたいって」
「メイ」
「本当だよ。ちゃんと自分で考えて、決めたんだもん・・・」
そっと腕に絡んでくる小さな手。薄赤く染まった頬はどこまでも可憐で。
澄んだ茶色の瞳の中に自分と同じ熱情を見つけて、キールは歓喜を覚えた。
そーして、キレた。
「俺は、お前が側にいてくれたら・・・」
「・・・キール?」
「・・・・・・それだけで、幸せ、に・・・」
「き、キールっ!?」
感動のラストシーンは。
胃の腑を抑えてぶっ倒れた青年の、吐血の赤に染められた。
《診断:過労と緊張による胃潰瘍》
「うきゃあああっ、誰かああああ!!!
キール、キールしっかりしてーーーー!!!」
「・・・・・・・・・」
「血、血がぁぁぁーーー!!い〜〜や〜〜〜ッ、死なないでキール〜〜〜!!!」
「・・・・・・・・・」
まるで吸血鬼のように蒼白な顔で唇から血を滴らせている青年を抱きしめながら、動転した少女は涙ながらに絶叫する。
目映い月明かりの下。それは結構、いやかなり、シュールな光景ではあった。
「し、死んじゃいや〜〜〜、きーるぅぅぅ!!」
誰が死ぬかよ、ばか。せっかく両思いになったのに。
朦朧とする意識の中、気強くそう思いながらも、7歳の時死に別れた父親が彼岸の向こう側で微笑んでいるのが見えているキールだった・・・。
その後青年が、医師から1週間の絶対安静を言い渡されたのは、当然の結果であった。
クライン王宮のシンボル、女神エーベの噴水。
その清らかな流水が、一夜にして不吉な真紅に色を変えたという―――『血染めの告白事件』と呼ばれる有名な喜劇の、これが顛末の全てである。
ちなみに、キール=セリアンの流血は、途中から愛しい恋人の胸に顔を埋めているという事実からくる鼻粘膜破壊に代わったが―――あまり関係はないかもしれない。
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