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それは、メイが溜まってしまった課題をやっつけるために、ディアーナの部屋を辞して廊下を歩いていたときのことだった。 王宮の廊下で、一人の男がたたずんでいるのが視界に入った。 無造作に束ねられた金茶の髪。大きく、ぱっちりしたグリーンアイ。いい男、というよりは可愛い感じの容姿である。 メイはその横を通りすぎようとして、ふと首をかしげた。服装といい、雰囲気といい、どこかで見たことがあるような、無いような…。考え込んでいるメイに、男はにっこりと笑った。 「こんにちは、メイ」 「へ?」 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。今の声はもしかして…。 「アイシュ?」 「はいぃ。アイシュです〜。メイ、気づきませんでしたか〜?」 「気づかないわよ。……そっかぁ、あのだっさいビン底眼鏡がないのね」 再びじろじろと男を見回して、メイはぽんと手を打った。アイシュはうう、と呻いて、 「メイ〜。だっさいビン底眼鏡は酷いですぅ。実際、僕はあれがないとなんにも見えないんですから」 いわれてみれば、アイシュはいままで一度も眼鏡を外したことがなかった。 あのキールの双子の兄なんだから、美形であることは明白なのだが、あのビン底眼鏡からはどうも想像ができなかった。それが今、現実に目の当たりにしてメイはすっかり驚いてしまっている。 いくらお約束だとはいえ、ここまで変わると一種不気味なものがあるわよね、などと考えを巡らせていたメイはふたたび首をかしげた。 「あれ?じゃあ、どうしてあたしだってわかったの?」 「簡単ですぅ。メイの足音は元気ですからね。姿が見えなくてもすぐに分かりますよ」 「ふーん…。足音ねぇ」 思わず足の裏を見てしまう。やはり、異世界の靴の音は特徴的なのだろうか。 「ねぇ、アイシュ。他に誰なら分かる?」 「他に、ですかぁ?」 アイシュは「んー」と考え込む。 「キールとか…。後は…、殿下の足音なんかはだいたい予測が付きますけど〜。確証が持てるのは、メイぐらいですねぇ」 「ふーん。あたしって、そんなに独創的な足音なのかぁ」 「いえ、そんなことはないんですけどね〜。僕のほうが覚えちゃったというか…」 「え?」 「ああああああ、いや、何でもありません。えええ、なんでもないんです!」 アイシュはハッと我に返り、両手を激しく振り回してごまかす。まさか、「いつも気にしていますから」なんて言えやしないのだ。 「そう?」 メイは不服そうだったが、あまり突っ込んではいけないような気がして、そのまま口を噤んだ。 「兄貴!」 不意に廊下の端から、キールの姿が現れる。キールはアイシュのほかにメイがいるのを認めると、苦々しい顔つきになった。 「メイ、こんな所で兄貴と遊んでいる暇があるのか?課題の提出は今日の夜までだろ」 「………うぅっ。そういうあんたこそ、こんなトコでなにしてんのよ」 負けじと反論するメイに、キールは眼鏡ケースを突き出した。 「兄貴が眼鏡を割っちまったから、俺が家から代わりを持ってきたんだ」 「ああ、すみませんねぇ、キール」 「まって、アイシュ」 嬉々として眼鏡ケースを受け取ったアイシュの手を押さえ込み、メイはキールの眼鏡をひっぺがした。 「いてっ、いきなり何をするんだお前は!」 憤るキールの眼前に、メイの顔が迫る。 「お、おい!?」 どきん、と心臓が跳ね上がる。声が思わず上擦ってしまった事を、メイに気づかれてしまっただろうか。 「あ、あの、メイ?」 眼鏡ケースを持つ手を押さえ込まれたアイシュもまた、掴まれた手の暖かな感触にドキドキしつつメイらしき物体に問い掛ける。 じっとキールの顔を見つめていたメイの顔は、意外と直ぐにフッと離れた。 「やっぱさ…、こーやってみると瓜二つだねー。うーん、さすが双子」 ニコニコしながら、メイは掴んでいたアイシュの手と、キールの眼鏡を同時に返した。 「−−なっ、なに言ってる!当然だろ!双子なんだからッ」 「うん、まあ、そうなんだけどね」 メイはあくびれずにへへへ、と笑う。 「二人とも個性的だからさー。どうもね、双子だってことを忘れちゃうんだよね」 でもさ、とメイは続けた。 「顔を見ないと、どっちがどっちか、すぐに分かるもんね。足音だって−−」 「足音?なんだそりゃ」 キールの疑問に、アイシュが答えた。 「あ〜、それは〜。先程、僕がメイの足音を聞き分けたっていう話ですよ〜」 眼鏡をかけたアイシュを面白くもなさそうな眼差しで見ながら、キールは「ふーん」と気の無い相づちを打った。 「考えてみれば、全っ然違うもんねぇ。アイシュ、あたしも多分、目が見えなくてもアイシュはすぐ分かるよ」 「へぇ〜、それは凄いですねぇ」 それはつまり、自分にとってメイが特別であるように、メイにとっての自分も、特別だということだろうか。頭のなかにふと浮かんだ甘い考えに、アイシュは思わず頬が緩んでしまいそうになる。 「なんでわかるんだよ」 対してキールはぶっきらぼうに問い掛けた。 「キールはわかんないの〜?」 からかうような眼差しに、キールはムッと口許を引き締めた。 「例え二人が同じ格好して同じ髪形して、黙って立ってても、あたしにはわかるのにな」 上目遣いに見上げると、カァッとキールの頬が染まる。それを怒りのためと判断したメイは、これ以上はヤバいなと察して身をひるがえした。 「じゃ、あたし課題やりに帰るから」 ばいばーい、と手を振りながら、メイはその場を、いつものように元気よく駆け去っていった。 その場に残されたのは、いつにもましてぽや〜っとしているアイシュと、朱に染まった顔を隠すように片手で押さえ込んでいるキールの姿だけだった。
「簡単簡単、バニラエッセンスの匂いがするのがアイシュで、薬品の匂いがキールなのよね。簡単にわかっちゃうわよ」
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