一通の知らせ

カイル 様

ライン


『──今度、結婚します。 アイシュ』 

 知らせるだけが目的の、短く、簡潔な文章。
 一ヶ月ぶりに兄から届いた手紙は、今までの手紙とは打って変わったそっけなさで。一言に込められた意味の重さを知るキールは、送り手の心情すらも窺い知れぬ、つれない手紙をしばし眺めていた。

「ふんふんふ〜ん♪」
 鼻歌まじりの歌を歌いながら、メイは台所内をせわしなく動いていた。
 なべから立ち上る、できあがる直前のシチューのいい匂い。
メインディッシュは既に盛り付けられて、テーブルに並べられている。
メイが今、取り掛かっているのは、グリーンサラダの飾り付けだ。
夕食前の忙しくも穏やかな光景を眺めながら、キールはぼんやりと席について、まだまだ幼い妻の後ろ姿を見ていた。
いつもならギリギリまで研究室に閉じこもりメイに引きずり出されて食卓につくのだが、今日はどうしてか独りで居る気になれずに早々に食卓について、せわしなく立ち回るメイの後ろ姿を眺めている。
「はい」
 ことん、とキールの前に赤ワインの注がれたワイングラスが置かれる。気を遣わせないように気配を殺して座っていたつもりだったのだが、メイには既に気づかれていたらしい。
「あ、ああ…」
 なんとなく、メイの視線が恐くてキールはワイングラスを手にした。
「今日くらい、飲んでもいいでしょ?今日は食後の研究もやすんでさ」
 キールが暗い理由を、メイは研究がはかどらないせいだと認識したようだ。細やかな気遣いをしてくれるできすぎた妻にキールは苦笑する。
 メイは少し不審そうな顔をしたが、そのままシチューの火を止めに台所へと立ち戻っていった。
「……なあ、メイ」
「んー?」
シチューの味を確認しつつ、相づちを打ってくれる。キールは手の中のグラスをもてあそびながら、出来るだけさりげなく告げた。
「兄貴。今度、結婚するんだと」
「…ふーん」
 シチューを皿に盛りながら、メイは気の無い返事を返した。あんまり驚いたような様子はない。
「そっかぁ…。いい人、見つかったんだね」
「――かもな」
妻の心境が掴めなくて、キールはぐいっとグラスを煽った。
「どうしたの、キール。嬉しくないの?」
 シチューの皿を並べ、メイはそのまま、むっすりとグラスを見つめている夫の顔を覗き込む。
「お前は?……やっぱり、後悔してるんじゃないのか」 
「後悔って、何を?」
きょとんとして聞き返すメイに、分かっているくせに、とキールは苦々しい気持ちになる。
一年前のあの日。
キールが求婚したのと、アイシュが国に帰る事をメイに告白したのは、ほんの一時間ほどの差だったと後で兄に聞いた。兄は「おめでとう」、とも。−−あの時の兄の顔が、忘れられない。
キールはプロポーズの答えをその場で求め、そしてメイは了承した。
兄は何をどう話し、どういう答えを得たのか。キールはそれが空恐ろしく、メイにもアイシュにも、それを聞くことは出来なかった。
……たった一時間の差。
メイはそれまで、キールとアイシュを分け隔て無く接していたと思う。どちらがどれだけ好きという事も無く、どちらも対等に接していた。求婚するまでキールに好きだという素振りを見せてくれた事はないし、またアイシュに対してもそうだった。どちらの想いにも気づいているようで、その実、全く気づいてはいなかった。……だから。
もし、一時間、アイシュの方が早かったら。
もしキールが後だったなら、アイシュはメイに同行して欲しいとお願いしただろうし、メイは……承諾したかもしれない。
確証はないが、勘、と言うものだろうか。アイシュが自分と同じくメイを好きであると気づいてしまった時のように、ただ、なんとなく、そう思うのだ。
「俺の、求婚をOKしたこと…」
「………」
 キールの言わんとしていることをようやく飲み込んだメイは、魚のように口をぱくぱくとさせたが、上手い言葉が出てこない。考えあぐねて、プロポーズの時のように不安げなはかない表情を浮かべているキールの膝にどっかりと横座りした。
「メイ?」
「キールは後悔してるの?」
あの頃から変わらない、くりくりとした大きな薄茶の瞳が間近で自分を見上げている。未だ成長期の妻はこの一年でだいぶ女らしくなったとはいえ、まだまだあどけなさを覗かす。それがまた、キールの胸を柄にも無くときめかしてしまうのだから困ったものである。
「……してない。お前は?」
キールは微かに頬を染めて、一年で随分伸びたメイの柔らかな髪をもてあそびながら応えた。
「あのねぇ、してたらとっとと家を出てってるって。だってねぇ、キールの世話って、半端じゃなくて大変だもん」
「そうか…」
「なぁにが『そうか』、よ!」
メイはむにっとキールの頬を引っ張った。
「て、ててて。こら、メイ。止めろって」
「さっきからなんなのよ!もう!キールらしくないよっ」
 やすやすと細い腕を引き剥がし、膝の上にまとめて押え込んだキールを、きっと睨み付ける。傲慢なほどの気の強さは結婚しても変わらない。
「もうっ。アイシュの結婚がそんなにショックなわけ!?情けないなぁ」
「そんなんじゃない」
「じゃあ、何だっていうのよ!」
「……お前は、兄貴が結婚すると聞いて、ショックじゃなかったか?」
「? 別に?」
「兄貴は、お前の事を好きだったんだぞ?気づかなかったか?」
これまでの反応からして気づいていなかったんだろうな、と思いつつ。聞いてみる。メイはあきれた顔でキールを見上げていた。
「………気づいてたわよ、そりゃあ」
「………気づいてたのか?」
まじまじと腕の中のメイを見つめる。メイは気づいていなかったと思われていた事が殊のほか腹立たしかったらしく、むうっと頬を膨らませて、
「…ったり前でしょ。あんたね。あんたにプロポーズされた一時間後に、『一緒に田舎に帰ってくれませんか?』っていわれたもの。気づかなきゃ、相当な間抜けじゃない」
「………」
 一瞬、思考が停止した。
「え……?」
幼い妻はまっかに顔を染めて、主張する。
「だ〜か〜ら〜っ、ちゃーんと告白されて、丁重にお断りしました!」
「断った?」
「そうよ」
ふんっと胸を張り、威張りくさった態度のメイに、頭の中が真っ白である。今まで考えていたすべてが、一気にはじけ飛んだ。
「…どうしてだ?」
「このっ、ボケナス!」
 どこまでもとぼけたキールに、憤然と立ち上がろうとしたメイの腰を慌てて引き戻す。
「離してよっ!」
「駄目だ」
「は〜な〜し〜てッ!!」
「嫌だ」
今離したら、それこそ家を飛び出すだろう。収拾のつかない事態になる事間違いなしだ。じたじたと暴れ出したメイを腕の中にすっぽりと収め、キールは妻の怒りが収まり、動きが鈍くなるまでじっと耐えつづけた。

「……メイ」
 一暴れして疲れ果てた妻に、そっと声をかけてみる。妻は脱出はあきらめたものの、つーんとそっぽを向いたまま、完全におかんむりのご様子。
「俺が悪かった……から……」
 謝りの言葉の途中で、今度は肩を震わせて泣き始めたメイを、キールはそ…っと抱きしめる。
「何よ……。あんたなんか…っ」
「悪かった」
「……キールはあたしが、アイシュと一緒になればいいと思ってたんだ」
「待てっ。俺はそんなこと、一言も言ってないぞ?」
「だって…っ、どうして断ったんだって言ったもん…!」
「それは…、その……」
 たしかに、そうは言った。事実である。だが、別にアイシュとメイが一緒になれば良かったなぁ、なんて思って言ったわけではなく――。
 どこからどうみても、アイシュの方が頭が良くて、料理や家事が得意で、人の心の機微にも敏感で、誰にも好かれて、敵はまずいないし。どうかんがえても、アイシュの方がお買い得だったはず――。それでもメイは、自分を選んでくれたわけで。ちゃんとキールとアイシュを比べて、キールを選んでくれたわけで。
……うまい言葉が出てこない。
「……ごめん。俺、メイがちゃんと兄貴よりも俺を選んでいてくれていたことに…、驚いて」
「あたしは、キールだからOKしたんだもん。アイシュじゃ駄目なんだもん…」
「ああ。そうだな」
 メイの告白に、じんと胸が熱くなる。
 今までのわだかまりや不安が嘘のように解けていくのを感じながら、キールはメイをさらにきつく抱きしめた。
「俺も、お前だからプロポーズしたんだ」
「当然でしょ。…キールみたいに手のかかる男のお嫁さんになってくれるの、あたしくらいだよ」
「そうだな」
 ようやく笑ってくれたメイに、キールもつられて笑う。
 めったに見せてくれない夫の満開の笑顔に、メイはかぁっと赤くなった。そして、その首に抱き着いて、
「ずっとずっと、大好きなんだからね!」
ようやく機嫌の直った妻をぎゅっと抱きしめたキールの笑顔が更に幸福そうな輝きを増したのを、メイは気づく事はなかった。



    書き置き
     …ふふ?なんでしょうね、これは?「一通の知らせ」がもたらしたもの、それはつまり、痴話げんか。………それだけの内容です、この創作(汗)。ああああっ、つっこまないでぇっ!ごごごごっ、ごめんなさーいっ(逃走)!

    管理人
     可愛い〜!!可愛い〜!!「一通の知らせ」がもたらしたものは痴話げんかじゃなくてわだかまりを溶かす薬なのね。(にっこり)
     あ、なんで逃げるかなぁ〜!!待って〜!!(なんか最近追いかけてばっかりだぞ?)

ライン

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